太史公書

高祖功臣侯者年表〈第十八〉

太史公曰く:古の人臣の功には五品あり、徳をもって宗廟を立て社稷を定めるを勲といい、言をもってするを労といい、力をもってするを功といい、その等を明らかにするを伐といい、日を積むを閲という。封爵の誓いに曰く「河帯の如く、泰山厲の若し。国以て永寧、爰に苗裔に及ぶ」と。始め未だその根本を固くせんと欲せざるはなく、而して枝葉稍々陵夷衰微す。

余高祖の功臣を侯に封ずるを読み、その首封を察し、これを失う所以の者を曰く:異なるかな新聞!『書』に曰く「万国を協和す」と、夏商に遷り、或いは数千歳。蓋し周は八百を封じ、幽厲の後、春秋に見ゆ。尚書に唐虞の侯伯あり、三代を歴て千有余載、自ら全うして以て天子を蕃衛す、豈に仁義に篤く、上法を奉ずるに非ずや?漢興り、功臣封を受くる者百余り。天下初めて定まる、故に大城名都散亡し、戸口得て数うべきもの十二三、是を以て大侯は万戸を過ぎず、小者は五六百戸。後数世、民咸く郷里に帰し、戸益々息い、蕭・曹・絳・灌の属或いは四万に至り、小侯自ら倍し、富厚之の如し。子孫驕溢し、その先を忘れ、淫嬖す。太初百年の間に至り、侯を見るもの五、余は皆法に坐して命を隕し国を亡ぼす、秏たり。罔亦少しく密なり、然れども皆身当世の禁に兢兢たること無し。

今の世に居り、古の道を志すは、以て自ら鏡とす所以なり、必ずしも尽く同じからず。帝王者各礼を殊にし務を異にし、要は成功を以て統紀と為す、豈に緄くべけんや?尊寵を得る所以及び廃辱を受くる所以を観るも、亦当世得失の林なり、何ぞ必ずしも旧聞を須いん?ここに謹んでその終始をし、その文を表し、頗る本末を尽くさざる所有り;その明らかなるを著し、疑わしきはこれを闕く。後の君子、推してこれを列せんと欲するは、以て覧るを得ん。

国名 侯功 高祖十二 孝惠七 高后八 孝文二十三 孝景十六 建元から元封六年まで三十六、太初元年から後元二年まで十八 侯第
平陽 中涓として沛から従軍し、霸上に至り、侯となる。将軍として漢に入り、左丞相として斉・魏を征伐し、右丞相として平陽侯となり、一万六百戸 七。六年十二月甲申、懿侯曹参元年 五。その二年に相国となる。二。六年十月、靖侯窋元年 八 十九。四。後四年、簡侯奇元年 三。十三。四年、夷侯時。元年 十。十六。元光五年、恭侯襄元年。元鼎三年、今侯宗元年 二
信武 中涓として宛・朐から従軍し、漢に入り、騎都尉として三秦を平定し、項羽を撃ち、別に江陵を平定し、侯となり、五千三百戸。車騎将軍として黥布・陳豨を攻める 七。六年十二月甲申、肅侯靳歙元年 七 五。三。六年、夷侯亭元年 十八。後三年、侯亭が国人を過度に使役した罪で侯位を剥奪され、国除 十一
清陽 中涓として豊から従軍し、霸上に至り、騎郎将となり、漢に入り、将軍として項羽を撃った功績で侯となり、三千一百戸 七。六年十二月甲申,定侯王吸元年。 七 八 七。元年,哀侯彊元年。。十六。八年,孝侯伉元年。 四。十二。五年,哀侯不害元年。 七。元光二年,侯不害薨,無後,國除。 十四
汝陰。 以令史從降沛,爲太僕,常奉車,爲滕公,竟定天下,入漢中,全孝惠、魯元,侯,六千九百戶。常爲太僕。 七。六年十二月甲申,文侯夏侯嬰元年。 七 八 八。七。九年,夷侯灶元年。。八。十六年,恭侯賜元年。 十六 七。元光二年,侯頗元年。。十九。元鼎二年,侯頗坐尚公主,與父御婢姦罪,自殺,國除。 八
陽陵。 以舍人從起橫陽,至霸上,爲騎將,入漢,定三秦,屬淮陰,定齊,爲齊丞相,侯,二千六百戶。 七。六年十二月甲申,景侯傅寬元年。 五。二。六年,頃侯靖元年。 八 十四。九。十五年,恭侯則元年。 三。十三。前四年,侯偃元年。 十八。元狩元年,偃坐與淮南王謀反,國除。 十
廣嚴。 以中涓從起沛,至霸上,爲連囂,入漢,以騎將定燕、趙,得將軍,侯,二千二百戶。 七。六年十二月甲申,壯侯召歐元年。 七 八 十九。二年、戴侯勝元年。。十三。十一年、恭侯嘉元年。後七年に嘉が薨去し、後継ぎなく、国は除かれた。 二十八
広平。 豊から従軍し、霸上に至り、郎中となり、漢に入り、将軍として項羽・鍾離眜を討ち功績を挙げ、侯となり、四千五百戸。 七。六年十二月甲申、敬侯薛歐元年。 七 八。元年、靖侯山元年。 十八。五。後三年、侯澤元年。 八。中二年、罪あり、断絶。。平棘五。中五年、再び封じられ節侯澤元年。 十五。その十年、丞相となる。。三。元朔四年、侯穰元年。元狩元年、穰が淮南王の財物を受け取り、臣と称し、赦免前にあり、詔問で欺瞞の罪、国は除かれた。 十五
博陽。 碭から従軍し、刺客将となり、漢に入り、都尉として項羽の滎陽を討ち、甬道を断ち、追撃兵を討ち功績を挙げ、侯となる。 七。六年十二月甲申、壮侯陳濞元年。 七 八 十八。五。後三年、侯始元年。 四。前五年、侯始に罪あり、国は除かれた。。塞二。中五年、再び始を封じる。。後元年、始に罪あり、国は除かれた。 十九
曲逆。 元楚の都尉、漢王二年に初めて修武に従い、都尉となり、護軍中尉に昇進;六奇計を出し、天下を定め、侯となり、五千戸。 七。六年十二月甲申、献侯陳平元年。 七。その五年、左丞相となる。 八。その元年、右丞相に移り;後に専ら丞相となり、孝文二年に相となる。 二。二。三年、恭侯買元年。。十九。五年、簡侯悝元年。 四。十二。五年、侯何元年。 十。元光五年、侯何が人妻を略奪した罪で棄市となり、国は除かれた。 四十七
堂邑。 自ら東陽を平定し、将となり、項梁に属し、楚の柱国となる。四年後、項羽が死に、漢に属し、豫章・浙江を平定し、浙で自立して王壮息となり、侯となり、千八百戸。さらに楚元王に十一年間相となる。 七。六年十二月甲申、安侯陳嬰元年。 七 四。四。五年、恭侯祿元年。 二。二十一。三年、夷侯午元年。 十六 十一。元光六年、季須元年。。十三。元鼎元年、侯須は母の長公主が死去した際、喪服を脱がずに姦通し、兄弟が財産を争い、死罪に当たり、自殺し、国は除かれた。 八十六
周呂。 呂后の兄として当初客として従い、漢に入って侯となる。三秦を平定し、兵を率いて先に碭に入る。漢王が彭城を解かれた時、これに従い、再び兵を発して高祖を助けて天下を平定し、功により侯となる。 三。六年正月丙戌、令武侯呂澤元年。四。九年、子台が酈侯に封ぜられ元年。 七
建成。 呂后の兄として当初客として従い、三秦を撃つ。漢王が漢に入り、釈之を豊沛に戻し、呂宣王・太上皇を奉衛する。天下が平定された後、釈之を建成侯に封ずる。 七。六年正月丙戌、康侯釈之元年。 二。五。三年、侯則元年。罪有り。 胡陵七。元年、五月丙寅、則の弟大中大夫呂祿を封じて元年。。七年、祿が趙王となり、国は除かれる。康侯を追尊して昭王とする。祿は趙王として謀りて善からず、大臣が祿を誅し、遂に呂氏を滅ぼす。
留。 廄将として下邳より起ち、韓申徒として韓国を下し、上に張旗志を言い、秦王を恐れさせ降伏させ、上と項羽の納を解き、漢王のために漢中の地を請い、常に計謀を以て天下を平定し、侯、万戸。 七。六年正月丙午、文成侯張良。元年。 七 二。六。三年、不疑元年。 四。五年、侯不疑は門大夫と謀りて故楚内史を殺害した罪に坐し、死罪に当たり、贖って城旦とされ、国は除かれる。 六十二
射陽。 兵が初めて起ち、諸侯と共に秦を撃ち、楚の左令尹となり、漢王と項羽が鴻門に納有り、項伯纏が難を解き、羽纏を破るのに功有り、射陽侯に封ぜられる。 七。六年正月丙午、侯項纏元年。劉氏の姓を賜う。 二。三年、侯纏卒す。嗣子睢に罪有り、国は除かれる。
酇。 客として当初より従い漢に入り、丞相となり、蜀及び関中を守備し、軍食を給し、上を助けて諸侯を定め、法令を為し、宗廟を立て、侯、八千戸。 七。六年正月丙午、文終侯蕭何元年。元年、丞相となる;九年、相国となる。 二。五。三年,哀侯祿元年。 一。七。二年,懿侯同元年。同,祿弟。 筑陽十九。元年,同有罪,封何小子延元年。。一。後四年,煬侯遺元年。。三。後五年,侯則元年。 一。有罪。。武陽七。前二年,封煬侯弟幽侯嘉元年。。八。中二年,侯勝元年。 十。元朔二年,侯勝坐不敬,絕。。三。元狩三年,封何曾孫恭侯慶元年。。酇三。元狩六年,侯壽成元年。。十。元封四年,壽成爲太常,犧牲不如令,國除。 一
曲周。 以將軍從起岐,攻長社以南,別定漢中及蜀,定三秦,擊項羽,侯,四千八百戶。 七。六年正月丙午,景侯酈商元年。 七 八 二十三。元年,侯寄元年。 九。有罪。。繆七。中三年,封商他子靖侯堅元年。 九。元光四年,康侯遂元年。。五。元朔三年,侯宗元年。。十一。元鼎二年,侯終根元年。。二十八。後元二年,侯終根坐咒詛誅,國除。 六
絳。 以中涓從起沛,至霸上,爲侯。定三秦,食邑,爲將軍。入漢,定隴西,擊項羽,守嶢關,定泗水、東海。八千一百戶。 七。六年正月丙午,武侯周勃元年。 七 八。其四年爲太尉。 十一。元年,爲右丞相,三年,免。復爲丞相。。六。十二年,侯勝之元年。。條六。後二年,封勃子亞夫元年。 十三。其三年,爲太尉;七年,爲丞相。有罪,國除。。平曲三。後元年,封勃子恭侯堅元年。 十六。元朔五年,侯建德元年。。十二。元鼎五年,侯建德坐酎金,國除。 四
舞陽。 以舍人起沛,從至霸上,爲侯。入漢,定三秦,爲將軍,擊項籍,再益封。從破燕,執韓信,侯,五千戶。 七。六年正月丙午,武侯樊噲元年。其七年,爲將軍、相國三月。 六。一。七年,侯伉元年。呂須子。 八。坐呂氏誅,族。 二十三。元年,封樊噲子荒侯市人元年。 六。七年,侯它廣元年。。六。中六年,侯它廣非市人子,國除。 五
潁陰。 以中涓從起碭,至霸上,爲昌文君。入漢,定三秦,食邑。以車騎將軍屬淮陰,定齊、淮南及下邑,殺項籍,侯,五千戶。 七。六年正月丙午,懿侯灌嬰元年。 七 八 四。其一,爲太尉;三,爲丞相。。十九。五年,平侯何元年。 九。七。中三年,侯彊元年。 六。有罪,絕。。九。元光二年,封嬰孫賢爲臨汝侯。侯賢元年。。元朔五年,侯賢行賕罪,國除。 九
汾陰。 初起以職志擊破秦,入漢,出關,以內史堅守敖倉,以御史大夫定諸侯,比清陽侯,二千八百戶。 七。六年正月丙午,悼侯周昌元年。 三。建平四。四年,哀侯開方元年。 八 四。前五年,侯意元年。。十三。有罪,絕。 安陽八。中二年,封昌孫左車。 建元元年,有罪,國除。 十六
梁鄒。 兵初起,以謁者從擊破秦,入漢,以將軍擊定諸侯功,比博陽侯,二千八百戶。 七。六年正月丙午,孝侯武儒元年。 四。三。五年,侯最元年。 八 二十三 十六 六。元光元年,頃侯嬰齊元年。。三。元光四年,侯山柎元年。。二十。元鼎五年,侯山柎坐酎金,國除。 二十
成。 兵が初めて挙兵した時、舎人として秦を攻撃し、都尉となった。漢に入り、三秦を平定した。関を出て、将軍として諸侯を平定した功績により、厭次侯に比べられ、二千八百戸を賜った。 七。六年正月丙午、敬侯董渫元年。 七。元年、康侯赤元年。 八 二十三 六。罪があり、断絶した。。節氏五。中五年、康侯赤を再封し元年とする。 三。建元四年、恭侯罷軍元年。。五。元光三年、侯朝元年。。十二。元狩三年、侯朝が済南太守となり、成陽王の娘と通じ、不敬の罪により、国を除かれた。 二十五
蓼。 執盾として前元年に碭から挙兵し、左司馬として漢に入り、将軍となり、三度都尉として項羽を攻撃し、韓信に属し、功績により侯となった。 七。六年正月丙午、侯孔藂元年。 七 八 八。十五。九年、侯臧元年。 十六 十四。元朔三年、侯臧が太常として、南陵橋が壊れ、衣冠車が渡れなかった罪により、国を除かれた。 三十
費。 舎人として前元年に碭から挙兵し、左司馬として漢に入り、都尉として韓信に属し、項羽を攻撃して功績を挙げ、将軍となり、会稽、浙江、湖陽を平定し、侯となった。 七。六年正月丙午、圉侯陳賀元年。 七 八 二十三。元年、共侯常元年。 一。二年、侯偃元年。中二年、罪があり、断絶した。。八。中六年、賀の子侯最を封じ元年とする。。巢四。後三年、最が薨じ、後継ぎがなく、国を除かれた。
陽夏。 特将として兵卒五百人を率い、前元年に宛、朐から挙兵し、霸上に至り、侯となった。游撃将軍として別に代を平定し、臧荼を破った後、豨を陽夏侯に封じた。 五。六年、正月丙午、侯陳豨元年。。十年、八月、豨が趙相国として兵を率いて代を守った。漢が豨を召喚したが、豨は反乱し、その兵を王黄らと共に代を略奪し、自立して王となった。漢が豨を霊丘で殺した。
隆慮。 兵卒として碭から挙兵し、連囂として漢に入り、長鈹都尉となった。項羽を攻撃し、功績を挙げ、侯となった。 七。六年正月丁未、哀侯周灶元年。 七 八 十七。六。後二年,侯通元年。 七。中元年,侯通有罪,國除。 三十四
陽都。 以趙將從起鄴,至霸上,爲樓煩將,入漢,定三秦,別降翟王,屬悼武王,殺龍且彭城,爲大司馬;破羽軍葉,拜爲將軍,忠臣,侯,七千八百戶。 七。六年正月戊申,敬侯丁復元年。 七 五。三。六年,趮侯甯元年。 九。十四。十年,侯安成元年。 一。二年,侯安成有罪,國除。 十七
新陽。 以漢五年用左令尹初從,功比堂邑侯,千戶。 七。六年正月壬子,胡侯呂清元年。 三。四。四年,頃侯臣元年。 八 六。二。七年,懷侯義元年。。十五。九年,惠侯它元年。 四。五。五年,恭侯善元年。。七。中三年,侯譚元年。 二十八。元鼎五年,侯譚坐酎金,國除。 八十一
東武。 以戶衛。起薛,屬悼武王,破秦軍杠里,楊熊軍曲遇,入漢,爲越。將軍,定三秦,以都尉堅守敖倉,爲將軍,破籍軍,功侯,二千戶。 七。六年正月戊午,貞侯郭蒙元年。 七 五。三。六年,侯它元年。 二十三 五。六年,侯它棄市,國除。 四十一
汁方。 趙将として前三年に諸侯平定に従い、侯爵、二千五百戸、功績は平定侯に比す。雍歯はもと沛の豪族で、有力者であり、高祖と旧知であったため、遅れて従った。 七。六年三月戊子、粛侯雍齒元年。 二。五。三年、荒侯雍巨元年。 八 二十三 二。十。三年、侯雍野元年。。四。中六年、終侯雍桓元年。 二十八。元鼎五年、終侯雍桓が酎金の罪で坐し、国除。 五十七
棘蒲。 将軍として前元年に二千五百人を率いて薛で挙兵し、別働隊として東阿を救援し、霸上に至る。二歳十月で漢に入り、斉の歴下軍田既を撃ち、功により侯爵。 七。六年三月丙申、剛侯陳武元年。 七 八 十六。後元年、侯陳武薨。嗣子陳奇が反逆し、後継ぎを置けず、国除。 十三
都昌。 舎人として前元年に沛で従い、騎隊を率いて率先して翟王を降伏させ、章邯を虜にし、功により侯爵。 七。六年三月庚子、荘侯朱軫元年。 七 八。元年、剛侯朱率元年。 七。十六。八年、夷侯朱詘元年。 二。元年、恭侯朱偃元年。。五。三年、侯朱辟彊元年。。中元年、朱辟彊薨、後継ぎなく、国除。 二十三
武彊。 舎人として霸上に従い、騎将として漢に入る。項羽を撃ち返し、丞相甯に属し、功により侯爵。将軍として黥布を撃ち、侯爵。 七。六年三月庚子、荘侯荘不識元年。 七 六。二。七年、簡侯荘嬰元年。 十七。六。後二年、侯荘青翟元年。 十六 二十五。元鼎二年、侯青翟は丞相として長史朱買臣らと共に御史大夫湯を不当に逮捕した罪で、封国を除かれた。 三十三
貰。 越の戸将として秦を破り、漢に入り、三秦を平定し、都尉として項羽を撃ち、千六百戸、功績は臺侯に比す。 二。六年、三月庚子、齊侯呂元年。。五。八年、恭侯方山元年。 七 八 二。元年、煬侯赤元年。。十二。十二年、康侯遺元年。 十六 十六。元朔五年、侯倩。。元年。。八。元鼎元年、侯倩は人を殺して市に棄てられた罪で、封国を除かれた。 三十六
海陽。 越の隊将として秦を破り、漢に入り三秦を平定し、都尉として頨羽を撃ち、侯、千八百戸。 七。六年三月庚子、齊信侯搖毋餘元年。 二。五。三年、哀侯招攘元年。 四。四。五年、康侯建元年。 二十三 三。四年、哀侯省元年。。十。中六年、侯省が薨じ、後継ぎなく、封国を除かれた。 三十七
南安。 河南将軍として漢王三年に晉陽で降伏し、亜将として臧荼を破り、侯、九百戸。 七。六年三月庚子、莊侯宣虎元年。 七 八 八。十一。九年、共侯戎元年。。四。後四年、侯千秋元年。 七。中元年、千秋は人を傷つけた罪で免官された。 六十三
肥如。 魏の太僕として三年に初めて従い、車騎都尉として龍且及び彭城を破り、侯、千戸。 七。六年三月庚子,敬侯蔡寅元年。 七 八 二。十四。三年,莊侯成元年。。七。後元年,侯奴元年。 元年,侯奴薨,無後,國除。 六十六
曲城。 以曲城戶將卒三十七人初從起碭,至霸上,爲執珪,爲二隊將,屬悼武王,入漢,定三秦,以都尉破項羽軍陳下,功侯,四千戶。爲將軍,擊燕、代,拔之。 七。六年三月庚子,圉侯蠱逢元年。 七 八 八。元年,侯捷元年。有罪,絕。。五。後三年,復封恭侯捷元年。 十三。有罪,絕。。垣五。中五年,復封恭侯捷元年。 一。建元二年,侯皋柔元年。。二十五。元鼎三年,侯皋柔坐爲汝南太守知民不用赤側錢爲賦,。。國除。 十八
河陽。 以卒前元年起碭從,以二隊將入漢,擊項羽,身得郎將處,功侯。以丞相定齊地。 七。六年三月庚子,莊侯陳涓元年。 七 八 三。元年,侯信元年。。四年,侯信坐不償人責過六月,奪侯,國除。 二十九
淮陰 兵初起,以卒從項梁,梁死,屬項羽,爲郎中。至咸陽,亡,從入漢,爲連囂、粟[1]客,蕭何言爲大將軍,別定魏、齊,爲王,徙楚,坐擅發兵,廢爲淮陰侯。 五。六年四月,侯韓信元年。。十一年,信謀反關中,呂后誅信,夷三族,國除。
芒。 以門尉前元年初起碭,至霸上,爲武定君,入漢,還定三秦,以都尉擊項羽,侯。 三。六年,侯昭元年。。九年,侯昭有罪,國除。 張十一。孝景三年,昭以故芒侯將兵從太尉亞夫擊吳楚有功,復侯。。三。後元年三月,侯申元年。 十七。元朔六年,侯申坐尚南宮公主。。不敬,國除。
故市。 執盾として挙兵し、漢に入り、河上守となり、仮相に昇進し、項羽を討ち、侯となり、千戸を領し、功績は平定侯に匹敵する。 三。六年四月癸未、侯閻澤赤元年。。四。九年、夷侯毋害元年。 七 八 十九。四。後四年、戴侯續元年。 四。十二。孝景五年、侯穀嗣。 二十八。元鼎五年、侯穀が酎金の罪で国を除かれる。 五十五
柳丘。 連囂として薛から挙兵し、二隊将として漢に入り、三秦を平定し、都尉として項籍軍を破り、将軍となる。侯となり、千戸を領する。 七。六年六月丁亥、齊侯戎賜元年。 七 四。四。五年、定侯安國元年。 二十三 三。四年、敬侯嘉成元年。。十。後元年、侯角嗣、罪あり、国除。 二十六
魏其。 舍人として沛から従い、郎中として漢に入り、周信侯となり、三秦を平定し、郎中騎将に昇進し、籍を東城で破り、侯となり、千戸を領する。 七。六年六月丁亥、莊侯周定元年。 七 四。四。五年、侯閒元年。 二十三 二。前三年、侯閒が反乱し、国除。 四十四
祁。 執盾として漢王三年に晋陽から挙兵し、連囂として項籍を討ち、漢王が敗走した際、賀が将軍として楚を討ち、追騎を阻止した。漢王は賀に言う:「彭城に留まり、執圭として東で羽を討ち、急いでその近壁を断て。」侯となり、千四百戸を領する。 七。六年六月丁亥、穀侯繒賀元年。 七 八 十一。十二。十二年、頃侯湖元年。 五。十一。六年、侯它元年。 八。元光二年、侯它が従射を坐し、勝手に罷免し、不敬の罪で、国を除かれる。 五十一
平。 兵が初めて起こった時、舍人として秦を撃ち従い、郎中として漢に入り、将軍として諸侯を定め、洛陽を守り、功侯となり、費侯賀に比べ、千三百戸。 六。六年六月丁亥、悼侯沛嘉元年。。一。十二年、靖侯奴元年。 七 八 十五。八。十六年、侯執元年。 十一。中五年、侯執が罪あり、国を除かれる。 三十二
魯。 舍人として沛から起ち、咸陽に至り郎中となり、漢に入り、将軍として諸侯を定め従い、侯となり、四千八百戸、功は舞陽侯に比ぶ。死事し、母が侯を代わる。 七。六年中、母侯疵元年。 七 四。五年、母侯疵が薨じ、後継ぎなく、国を除かれる。 七
故城。 兵が初めて起こった時、謁者として従い、漢に入り、将軍として諸侯を撃ち、右丞相として淮陽を備え守る功、厭次侯に比べ、二千戸。 七。六年中、莊侯尹恢元年。 二。五。三年、侯開方元年。 二。三年、侯方が侯を奪われ、関内侯となる。 二十六
任。 騎都尉として漢五年に東垣から起ち、燕・代を撃ち、雍齒に属し、功あり、侯となる。車騎将軍となる。 七。六年、侯張越。。元年。 七 二。三年、侯越が死罪を匿う罪で坐し、庶人に免じられ、国を除かれる。
棘丘。 元年に執盾隊史として碭から挙兵し、秦を破り、治粟内史として漢に入り、上郡守として西魏の地を平定し、功績により侯となる。 七。六年、侯襄。。元年。 七 四。四年、侯襄が侯位を剥奪され、士伍となり、国は除かれる。
阿陵。 元年に連囂として単父から挙兵し、塞疏として漢に入る。 七。六年七月庚寅、頃侯郭亭元年。 七 八 二。二十一。三年、惠侯歐元年。 一八。前二年、侯勝客元年。罪あり、断絶。。南四。中六年、靖侯延居元年。 十一。元光六年、侯則元年。。十七。元鼎五年、侯則が酎金の罪で、国は除かれる。 二十七
昌武。 初めに舍人として従い、郎中として漢に入り、三秦を平定し、郎中將として諸侯を撃ち、侯となり、九百八十戸、魏其侯に比す。 七。六年七月庚寅、靖信侯単甯元年。 五。二。六年、夷侯如意元年。 八 二十三 十。六。中四年、康侯賈成元年。 十。元光五年、侯得元年。。四。元朔三年、侯得が人を傷つけ二旬内に死なせ、棄市され、国は除かれる。 四十五
高苑。 初めに舍人として従い、漢に入り、三秦を平定し、中尉として籍を破り、侯となり、千六百戸、斥丘侯に比す。 七。六年七月戊戌、制侯丙倩元年。 七。元年、簡侯得元年。 八 十五。八。十六年、孝侯武元年。 十六 二。建元元年、侯信元年。。建元三年、侯信が属車の間を出入りした罪で、侯位を剥奪され、国は除かれる。 四十一
宣曲。 留で兵卒として従軍し、騎将として漢に入り、三秦を平定し、滎陽で項籍軍を破り、郎騎将となり、固陵で鍾離昧軍を破り、侯に封ぜられ、六百七十戸。 七。六年七月戊戌、斉侯丁義元年。 七 八 十。十三。十一年、侯通元年。 四。罪あり、除封。。発婁。中五年、侯通を再封し元年とする。中六年、侯通罪あり、国除。 四十三
絳陽。 越将として留で従軍し、漢に入り、三秦を平定し、臧荼を撃ち、侯に封ぜられ、七百四十戸。馬邑及び布を攻撃に従う。 七。六年七月戊戌、斉侯華無害元年。 七 八 三。十六。四年、恭侯勃斉元年。。四。後四年、侯禄元年。 三。四年、侯禄境界を出で罪あり、国除。 四十六
東茅。 舎人として碭で従軍し、霸上に至り、二隊で漢に入り、三秦を平定し、都尉として項羽を撃ち、臧荼を破り、侯に封ぜられる。韓信を捕らえ、将軍となり、邑千戸を加増。 七。六年八月丙辰、敬侯劉釗元年。 七 八 二。三年、侯吉元年。。十三。十六年、侯吉爵を奪われ、国除。 四十八
斥丘。 舎人として豊で従軍し、左司馬として漢に入り、亜将として項籍を攻め、敵を剋し、東郡都尉となり、武城で項籍を撃破し、侯に封ぜられ、漢中尉となり、布を撃ち、斥丘侯となる。千戸。 七。六年八月丙辰、懿侯唐厲元年。 七 八 八。十三。九年、恭侯晁元年。。二。後六年、侯賢元年。 十六 二十五。元鼎二年、侯尊元年。三。元鼎五年、侯尊が酎金に坐し、国除。 四十
臺。 舍人として碭から従い、隊率として漢に入り、都尉として籍を撃ち、籍死し、臨江を撃ち転じ、将軍賈に属し、功侯。将軍として燕を撃つ。 七。六年八月甲子、定侯戴野元年。 七 八 三。二十。四年、侯才元年。 二。三年、侯才反し、国除。 三十五
安国。 客として豊から従い、廄将として東郡・南陽を別定し、霸上に至る。漢に入り、豊を守る。上東し、戦に従い不利、孝惠・魯元を奉じて睢水中に出し、及び豊を堅守し、雍侯に封じ、五千戸。 七。六年八月甲子、武侯王陵元年。定侯安国。 七。その六年、右丞相となる。 七。一。八年、哀侯忌元年。 二十三。元年、終侯游元年。 十六 二十。建元元年、三月、安侯辟方元年。八。元狩三年、侯定元年。元鼎五年、侯定が酎金に坐し、国除。 十二
楽成。 中涓騎として碭中から従い、騎将となり、漢に入り、三秦を定め、侯。都尉として籍を撃ち、灌嬰に属し、龍且を殺し、更に楽成侯となり、千戸。 七。六年八月甲子、節侯丁礼元年。 七 八 四。十八。五年、夷侯馬従元年。一。後七年、武侯客元年。 十六 二十五。元鼎二年、侯義元年。三。元鼎五年、侯義が五利侯を言い不道と坐し、棄市、国除。 四十二
辟阳。 食客として仕え始め、呂后に仕え、孝恵帝の沛で三年十月、呂后が楚に入ると、食其は一年従い、侯となる。 七。六年八月甲子、幽侯審食其元年。 七 八 三。二十。四年、侯平元年。 二。三年、平は謀反の罪で、国を除かれる。 五十九
安平。 謁者として漢王三年に初めて従い、諸侯を平定し、功績あり、蕭何を推挙し、功侯となり、二千戸。 七。六年八月甲子、敬侯諤千秋元年。 二。五。孝恵三年、簡侯嘉元年。 七。一。八年、頃侯応元年。 十三。十。十四年、煬侯寄元年。 十五。一。後三年、侯但元年。 十八。元狩元年、淮南王の娘陵と通じ、淮南に書を送り臣として尽力すると称し、市で処刑され、国を除かれる。 六十一
蒯成。 食客として沛から従い、霸上まで、侯となる。漢に入り、三秦を平定し、池陽に食邑。項羽軍を滎陽で撃ち、甬道を断ち、従って出て、平陰を渡り、淮陰侯軍に襄国で遭遇。楚漢が鴻溝で分ける約束をし、惞を信として、戦い不利で、上を離れず、侯となり、三千三百戸。 七。六年八月甲子、尊侯周惞元年。。十二年十月乙未、定蒯成。 七 八 五。惞が薨去し、子昌が代わる。罪あり、絶え、国を除かれる。 鄲一。中元年、惞の子康侯応元年。。八。中二年、侯中居元年。 二十六。元鼎三年、居が太常として罪あり、国を除かれる。 二十二
北平。 客として陽武から従い、霸上まで、常山守となり、陳餘を得、代相となり、趙相に移り、侯となる。計相四年、淮南相十四年。千三百戸。 七。六年八月丁丑、文侯張倉元年。 七 八 二十三。その四は丞相となる。五年で罷免。 五。八。六年、康侯奉元年。三。後元年、侯預元年。 四。建元五年、侯預が諸侯の喪に臨んだ後、不敬の罪により、国を除かれる。 六十五
高胡。 卒として杠里から従い、漢に入り、都尉として項籍を撃ち、都尉として燕を定め、侯となり、千戸。 七。六年中、侯陳夫乞元年。 七 八 四。五年、殤侯程嗣。薨し、後継ぎなく、国を除かれる。 八十二
厭次。 慎将として前元年に留から従い、漢に入り、都尉として広武を守り、功により侯となる。 七。六年中、侯元頃元年。 七 八 五。元年、侯賀元年。六年、侯賀が謀反し、国を除かれる。 二十四
平皋。 項它、漢六年に碭郡長として初めて従い、姓を劉氏と賜る;功は戴侯彭祖に比し、五百八十戸。 六。七年十月癸亥、煬侯劉它元年。 四。三。五年、恭侯遠元年。 八 二十三 十六。元年、節侯光元年。 二十八。建元元年、侯勝元年。元鼎五年、侯勝が酎金の罪により、国を除かれる。 百二十一
復陽。 卒として薛から従い、将軍として漢に入り、右司馬として項籍を撃ち、侯となり、千戸。 六。七年十月甲子、剛侯陳胥元年。 七 八 十。十三。十一年,恭侯嘉元年。 五。十一。六年,康侯拾元年。 十二。元朔元年,侯彊元年。。七。元狩二年,坐父拾非嘉子,國除。 四十九
陽河。 以中謁者從入漢,以郎中騎從定諸侯,侯五百戶,功比高胡侯。 三。七年十月甲子,齊哀侯元年。。三。十年,侯安國元年。 七 八 二十三 十。六。中四年,侯午元年。中絕。 二十七。元鼎四年,恭侯章元年。。埤山三。元封元年,侯仁元年。。二十。征和三年,十月,仁與母坐祝詛,大逆無道,國除。 八十三
朝陽。 以舍人從起薛,以連囂入漢,以都尉擊項羽,後攻韓王信,侯,千戶。 六。七年三月壬寅,齊侯華寄元年。 七 八。元年,文侯要元年。 十三。十。十四年,侯當元年。 十六 十三。元朔二年,侯當坐教人上書枉法罪,國除。 六十九
棘陽。 以卒從起胡陵,入漢,以郎將迎左丞相軍以擊項籍,侯,千戶。 六。七年七月丙申,莊侯。。杜得臣元年。 七 八 五。十八。六年,質侯但元年。 十六 九。元光四年、懐侯武元年。。七。元朔五年、薨、後嗣なく、国除。 八十一
涅陽。 騎士として漢王二年に関より出で、郎将として項羽を撃ち斬り、侯、千五百戸、杜衍侯に比す。 六。七年中、荘侯。。呂勝元年。 七 八 四。五年、荘侯の子成は実は子にあらず、侯となるべからず、国除。 百四
平棘。 客として亢父より起ち、章邯の署した蜀守を斬り、燕相として侯、千戸。 六。七年中、懿侯執元年。 七 七。一。八年、侯辟彊元年。 五。六年、侯辟彊罪あり、鬼薪と為り、国除。 六十四
羹頡 高祖の兄の子として軍に従い、反する韓王信を撃ち、郎中将と為る。信の母嘗て高祖微時に罪あり、太上憐れみ、故に羹頡侯に封ず。 六。七年中、侯劉信元年。 七 元年、信罪あり、爵一級を削り、関内侯と為る。
深澤。 趙将として漢王三年に降り、淮陰侯に属し、趙・斉・楚を定め、平城を撃ち、侯、七百戸。 五。八年十月癸丑、斉侯趙将夜元年。 七 一。奪い、絶つ。三年復封、一年絶つ。 四。十四年、将夜を復封元年。。六。後二年、戴侯頭元年。 二。七。三年、侯循元年。罪、絶つ。。更五。中五年、頭の子夷侯胡を封ず元年。 十六。元朔五年、夷侯胡薨、後嗣なく、国除。 九十八
柏至。 駢憐として昌邑から従軍し、説衛として漢に入り、中尉として項籍を討ち、侯爵(千戸)を得た。 六。七年十月戊辰、靖侯許溫元年。 七 一。二年、罪あり、断絶。。六。三年、温が再び封じられる。 十四。元年、簡侯祿元年。。九。十五年、哀侯昌元年。 十六 七。元光二年、共侯安如元年。。十三。元狩三年、侯福元年。。五。元鼎二年、侯福罪あり、国除。 五十八
中水。 郎中騎将として漢王元年に好畤から従軍し、司馬として龍且を討ち、さらに項羽を斬り、侯爵(千五百戸)を得た。 六。七年正月己酉、莊侯呂馬童元年。 七 八 九。三。十年、夷侯假元年。。十一。十三年、共侯青肩元年。 十六 五。建元六年、靖侯德元年。。一。元光元年、侯宜成元年。。二十三。元鼎五年、宜成酎金の罪で国除。 百一
杜衍。 郎中騎として漢王三年に下邳から従軍し、淮陰に属し、灌嬰と共に項羽を斬り、侯爵(千七百戸)を得た。 六。七年正月己酉、莊侯王翳元年。 七 五。三。六年、共侯福元年。 四。七。五年、侯市臣元年。。十二。十二年、侯翕元年。 十二。罪あり、断絶。。三。後元年、翳の子彊侯郢人が再封される。 九。元光四年、侯定国元年。。十二。元狩四年、侯定国罪あり、国除。 百二
赤泉。 郎中騎として漢王二年に杜から従軍し、淮陰に属し、後に灌嬰と共に項羽を斬り、侯爵(千九百戸)を得た。 六。七年正月己酉、荘侯楊喜元年。 七 元年、奪爵、断絶。七。二年、復封。 十一。十二。十二年、定侯殷元年。 三。四年、侯無害元年。六。有罪、断絶。臨汝五。中五年、復封侯無害元年。 七。元光二年、侯無害有罪、国除。 百三
栒。 燕将軍として漢王四年に曹咎軍に従い、燕相となり、燕王荼の反乱を告発し、侯爵を得る。燕相国として盧奴を平定し、千九百戸。 五。八年十月丙辰、頃侯溫疥元年。 七 八 五。十七。六年、文侯仁元年。一。後七年、侯河元年。 十。中四年、侯河有罪、国除。 九十一
武原。 漢七年、梁将軍として初めに韓信・陳豨・黥布を撃つ功績により、侯爵を得る。二千八百戸、功績は高陵に比す。 五。八年十二月丁未、靖侯衛胠元年。 三。四。四年、共侯寄元年。 八 二十三 三。四年、侯不害元年。十三。後二年、不害が葬儀の法度を過ぎた罪により、国除。 九十三
磨。 趙衛将軍として漢王三年に盧奴から起兵し、項羽の敖倉下を撃ち、将軍となり、臧荼を攻めて功績あり、侯爵を得る。千戸。 五。八年七月癸酉、簡侯程黑元年。 七 二。六。三年、孝侯釐元年。 十六。七。後元年、侯灶元年。 七。中元年、灶有罪、国除。 九十二
槁。 高帝七年、将軍となり、代の陳豨を討つに従い功績あり、侯に封ぜられ、六百戸。 五。八年十二月丁未、祗侯陳錯元年。 二。五。三年、懷侯嬰元年。 八 六。十四。七年、共侯應元年。。三。後五年、侯安元年。 十六 十二。得ず、千秋の父。。七。元狩二年、侯千秋元年。。九。元鼎五年、侯千秋酎金の罪に坐し、国除。 百二十四
宋子。 漢三年、趙羽林将として初めに従い、諸侯を平定し、功績は磨侯に比し、五百四十戸。 四。八年十二月丁卯、惠侯許瘛元年。。一。十二年、共侯不疑元年。 七 八 九。十四。十年、侯九元年。 八。中二年、侯九塞外禁物を買う罪に坐し、国除。 九十九
猗氏。 舍人として豊より起ち、漢に入り、都尉として項羽を討ち、侯に封ぜられ、二千四百戸。 五。八年三月丙戌、敬侯陳鸱元年。 六。一。七年、靖侯交元年。 八 二十三 二。三年、頃侯差元年。薨じ、後嗣なく、国除。 五十
清。 弩将として初めに起ち、漢に入り、都尉として項羽・代を討ち、侯に封ぜられ、彭侯に比し、千戸。 五。八年三月丙戌、簡侯空中元年。 七。元年、頃侯聖元年。 八 七。十六。八年,康侯鮒元年。 十六 二十。元狩三年,恭侯石元年。。七。元鼎四年,侯生元年。。一。元鼎五年,生坐酎金,國除。 七十一
彊。 以客吏初起,從入漢,以都尉擊項羽、代,侯,比彭侯千戶。 三。八年三月丙戌,簡侯留勝元年。。二。十一年,戴侯章元年。 七 八 十二。十三年,侯服元年。。二。十五年,侯服有罪,國除。 七十二
彭。 以卒從起薛,以弩將入漢,以都尉擊項羽、代,侯,千戶。 五。八年三月丙戌,簡侯秦同元年。 七 八 二。二十一。三年,戴侯執元年。 二。三年,侯武元年。。十一。後元年,侯武有罪,國除。 七十
吳房。 以郎中騎將漢王元年從起下邽,擊陽夏,以都尉斬項羽,有功,侯,七百戶。 五。八年三月辛卯,莊侯楊武元年。 七 八 十二。十一。十三年,侯去疾元年。 十四。後元年,去疾有罪,國除。 九十四
甯。 以舍人從起碭,入漢,以都尉擊臧荼功,侯,千戶。 五。八年四月辛酉,莊侯魏選元年。 七 八 十五。八。十六年,恭侯連元年。 三。元年,侯指元年。。四年,侯指坐出國界,有罪,國除。 七十八
昌。 以齊將漢王四年從淮陰侯起無鹽,定齊,擊籍及韓王信於代,侯,千戶。 五。八年六月戊申,圉侯盧卿元年。 七 八 十四。九。十五年,侯通元年。 二。三年,侯通反,國除。 百九
共。 以齊將漢王四年從淮陰侯起臨淄,擊籍及韓王信於平城,有功,侯,千二百戶。 五。八年六月壬子,莊侯盧罷師元年。 七 八 六。七年,惠侯黨元年。。八。十五年,懷侯商元年。。五。後四年,侯商薨,無後,國除。 百十四
閼氏。 以代太尉漢王三年降,爲鴈門守,以特將平代反寇,侯,千戶。 四。八年六月壬子,節侯馮解敢元年。。一。十二年,恭侯它元年。薨,無後,絕。 十四。二年,封恭侯遺腹子文侯遺元年。。八。十六年,恭侯勝之元年。 五。十一。前六年,侯平元年。 二十八。元鼎五年,侯平坐酎金,國除。 百
安丘。 以卒從起方與,屬魏豹,二歲五月,以執鈹入漢,以司馬擊籍,以將軍定代,侯,三千戶。 五。八年七月癸酉,懿侯張說元年。 七 八 十二。十一。十三年,恭侯奴元年。 二。一。三年,敬侯執元年。。十三。四年,康侯訢元年。 十八。元狩元年,侯指元年。。九。元鼎四年,侯指坐入上林謀盜鹿,國除。 六十七
合陽。 高祖兄。兵初起,侍太公守豐,天下已平,以六年正月立仲爲代王。高祖八年,匈奴攻代,王棄國亡,廢爲合陽侯。 五。八年九月丙子,侯劉仲元年。 二。仲子濞,爲吳王。。以子吳王故,尊仲謚爲代頃侯。
襄平。 兵初起,紀成以將軍從擊破秦,入漢,定三秦,功比平定侯。戰好畤,死事。子通襲成功,侯。 五。八年後九月丙午,侯紀通元年。 七 八 二十三 九。七。中三年,康侯相夫元年。 十二。元朔元年,侯夷吾元年。。十九。元封元年,夷吾薨,無後,國除。
龍。 以卒從,漢王元年起霸上,以謁者擊籍,斬曹咎,侯,千戶。 五。八年後九月己未,敬侯陳署元年。 七 六。二。七年,侯堅元年。 十六。後元年,侯堅奪侯,國除。 八十四
繁。 以趙騎將從,漢三年,從擊諸侯,侯,比吳房侯,千五百戶。 四。九年十一月壬寅,莊侯彊瞻元年。 四。三。五年,康侯昫獨元年。 八 二十三 三。六。四年侯寄元年。。七。中三年,侯安国元年。 十八。元狩元年,安国为人所杀,国除。 九十五
陆梁。 诏以为列侯,自置吏,受令长沙王。 三。九年三月丙辰,侯须毋元年。。一。十二年,共侯桑元年。 七 八 十八。五。后三年,康侯庆忌元年。 元年,侯冉元年。。十六 二十八。元鼎五年,侯冉坐酎金,国除。 百三十七
高京。 周苛起兵,以内史从,击破秦,为御史大夫,入汉,围取诸侯,坚守荥阳,功比辟阳。苛以御史大夫死事。子成为后,袭侯。 四。九年四月戊寅,侯周成元年。 七 八 二十。后五年,坐谋反,系死,国除,绝。 绳。中元年,封成孙应元年。。侯平嗣,不得元。 元狩四年,平坐为太常不缮治园陵,不敬,国除。 六十
离。 失此侯始所起及所绝。 九年四月戊寅,邓弱元年。
义陵。 以长沙柱国侯,千五百户。 四。九年九月丙子,侯吴程元年。 三。四。四年,侯种元年。 六。七年,侯種薨,無後,國除。皆失謚。 百三十四
宣平。 兵初起,張耳誅秦,爲相,合諸侯兵鉅鹿,破秦定趙,爲常山王。陳餘反,襲耳,棄國,與大臣歸漢,漢定趙,爲王。卒,子敖嗣。其臣貫高不善,廢爲侯。 四。九年四月,武侯張敖元年。 七 六。信平薨,子偃爲魯王,國除。 十五。元年,以故魯王爲南宮侯。。八。十六年,哀侯歐元年。 九。七。中三年,侯生元年。 七。罪,絕。睢陽十八。元光三年,封偃孫侯廣元年。。十三。元鼎二年,侯昌元年。太初三年,侯昌爲太常,乏祠,國除。 三
東陽。 高祖六年,爲中大夫,以河閒守擊陳豨力戰功,侯,千三百戶。 二。十一年十二月癸巳,武侯張相如元年。 七 八 十五。五。十六年,共侯殷元年。。三。後五年,戴侯安國元年。 三。十三。四年,哀侯彊元年。 建元元年,侯彊薨,無後,國除。 百十八
開封。 以右司馬漢王五年初從,以中尉擊燕,定代,侯,比共侯,二千戶。 一。十一年十二月丙辰,閔侯陶舍元年。。一。十二年,夷侯青元年。 七 八 二十三 九。景帝時,爲丞相。。七。中三年,節侯偃元年。 十。元光五年,侯睢元年。。十八。元鼎五年,侯睢坐酎金,國除。 百十五
沛。 高祖の兄合陽侯劉仲の子、侯。 一。十一年十二月癸巳、侯劉濞元年。十二年十月辛丑、侯濞が呉王となり、国除。
慎陽。 淮陰の舎人となり、淮陰侯信の反乱を告発し、侯、二千戸。 二。十一年十二月甲寅、侯欒説元年。 七 八 二十二 十二。四。中六年、靖侯願之元年。 二十二。建元元年、侯買之元年。元狩五年、侯買之が白金を鋳造した罪で棄市、国除。 百三十一
禾成。 漢五年に卒として初めて従い、郎中として代を撃ち、陳豨を斬り、侯、千九百戸。 二。十一年正月己未、孝侯公孫耳元年。 七 八 四。五年、懷侯漸元年。九。十四年、侯漸が薨じ、後継ぎなく、国除。 百十七
堂陽。 中涓として沛から従い、郎として漢に入り、将軍として籍を撃ち、惠侯となる。滎陽を守って楚に降り免職。後に復帰し、郎として籍を撃ち、上党守となり、豨を撃ち、侯、八百戸。 二。十一年正月己未、哀侯孫赤元年。 七 八。元年、侯德元年。 二十三 十二。中六年、侯德が罪あり、国除。 七十七
祝阿。 客として齧桑から従い、上隊将として漢に入り、将軍として魏太原を定め、井陘を破り、淮陰侯に属し、莳度軍として籍を撃ち及び豨を攻め、侯、八百戸。 二。十一年正月己未、孝侯高邑元年。 七 八 四。五年、侯成元年。。十四。後三年、侯成は国人過律の罪に坐し、国除。 七十四
長脩。 漢二年に御史として初めて関を出て従い、内史として諸侯を撃ち、功は須昌侯に比し、廷尉として死事し、千九百戸。 二。十一年正月丙辰、平侯杜恬元年。 二。五。三年、懷侯中元年。 八 四。十九。五年、侯喜元年。 八。罪により絶。。陽平五。中五年、再び封ぜられ、侯相夫元年。 三十三。元封四年、侯相夫は太常として楽令無可と鄭舞人を擅繇し、令に如かず、函谷関を闌出した罪に坐し、国除。 百八
江邑。 漢五年に御史となり、奇計を用いて御史大夫周昌を趙相に徙し、代わりに従い、陳豨を撃ち、功により侯となり、六百戸。 二。十一年正月辛未、侯趙堯元年。 七 元年、侯堯は罪あり、国除。
營陵。 漢三年に郎中となり、項羽を撃ち、将軍として陳豨を撃ち、王黄を得て、侯となる。高祖と疏属の劉氏、世々衛尉となる。万二千戸。 二。十一年、侯劉澤元年。 七 五。六年、侯澤は琅邪王となり、国除。 八十八
土軍。 高祖六年に中地守となり、廷尉として陳豨を撃ち、侯となり、千二百戸。国に就き、後に燕相となる。 二。十一年二月丁亥、武侯宣義元年。 五。二。六年、孝侯莫如元年。 八 二十三 二。十四。三年、康侯平元年。 五。建元六年、侯生元年。八。元朔二年、生は人妻と姦通した罪で、国を除かれる。 百一十二
広阿。 客として沛から従い、御史となり、豊を二年守り、項籍を撃ち、上党守となり、陳豨が反乱した時、堅守し、侯となり、千八百戸。後に御史大夫に遷る。 二。十一年二月丁亥、懿侯任敖元年。 七 八 二。一。三年、夷侯竟元年。二十。四年、敬侯但元年。 十六 四。建元五年、侯越元年。二十一。元鼎二年、侯越は太常廟の酒が酸っぱくなったことで不敬の罪に坐し、国を除かれる。 八十九
須昌。 謁者として漢王元年に漢中で初めて起き、雍軍が陳を塞ぎ、上に謁し、上は還ろうと計ったが、衍は他道から行くと言い、道が通じ、後に河間守となり、陳豨が反乱した時、都尉相如を誅し、功侯となり、千四百戸。 二。十一年二月己酉、貞侯趙衍元年。 七 八 十五。四。十六年、戴侯福元年。四。後四年、侯不害元年。 四。五年、侯不害は罪あり、国を除かれる。 百七
臨轅。 初めに従って郎となり、都尉として蘄城を守り、中尉として侯となり、五百戸。 二。十一年二月乙酉、堅侯戚鰓元年。 四。三。五年、夷侯触龍元年。 八 二十三 三。十三。四年、共侯忠元年。 三。建元四年、侯賢元年。二十五。元鼎五年、侯賢は酎金の罪に坐し、国を除かれる。 百十六
汲。 高祖六年に太僕となり、代の豨を撃ち、功あり、侯となり、千二百戸。趙太傅となる。 二。十一年二月己巳、終侯公上不害元年。 一。六。二年、夷侯武元年。 八 十三。十。十四年、康侯通元年。 十六 一。九。建元二年、侯廣德元年。。元光五年、廣德は妻の精大逆罪に連座し、廣德も連座し、棄市、国除。 百二十三
寧陵。 舍人として陳留に従い、郎として漢に入り、曹咎を成皋で破り、上に随馬を解き、都尉として陳豨を撃ち、功侯、千戸。 二。十一年二月辛亥、夷侯呂臣元年。 七 八 十。十三。十一年、戴侯射元年。 三。四年、惠侯始元年。。一。五年、侯始薨、後嗣なく、国除。 七十三
汾陽。 郎中騎千人として前二年に陽夏から起ち、項羽を撃ち、中尉として鍾離眛を破り、功侯。 二。十一年二月辛亥、侯靳彊元年。 七 二。六。三年、共侯解元年。 二十三 四。十二。五年、康侯胡元年。絶。 江鄒十九。元鼎五年、侯石元年。。太始四年五月丁卯、侯石は太常として、太僕事を行い、嗇夫可年を治め、年を益し、国除。 九十六
戴。 卒として沛から起ち、卒として沛城門を開き、太公の僕となる;中廄令として豨を撃ち、侯、千二百戸。 二。十一年三月癸酉、敬侯彭祖元年。 七 二。六。三年、共侯悼元年。 七。十六。八年、夷侯安國元年。 十六 十六。元朔五年、侯安期元年。。十二。元鼎五年、侯蒙元年。。二十五。後元元年五月甲戌、祝詛の罪で無道とされ、国除。 百一十六
衍。 漢二年に燕令となり、都尉として楚の九城を下し、燕を堅守し、侯に封ぜられ、九百戸。 二。十一年七月乙巳、簡侯翟盱。。元年。 七 三。二。四年、祗侯山元年。。三。六年、節侯嘉元年。 二十三 十六 二。建元三年、侯不疑元年。。十。元朔元年、不疑が詔書を挟んで罪に論ぜられ、国除。 百三十
平州。 漢王四年、燕相として籍を撃ち、還って荼を撃ち、故二千石将として列侯に封ぜられ、千戸。 二。十一年八月甲辰、共侯昭涉掉尾元年。 七 八 一。三。二年、戴侯福元年。。四。五年、懷侯它人元年。。十五。九年、孝侯馬童元年。 十四。二。後二年、侯昧元年。 三十三。元狩五年、侯昧が行馳中更を呵して馳去の罪で、国除。 百十一
中牟。 卒として沛から従い、漢に入り郎中として布を撃ち、功により侯に封ぜられ、二千三百戸。初め高祖が微時に急があり、高祖に一馬を与えた故に侯を得る。 一。十二年十月乙未、共侯單父聖元年。 七 八 七。五。八年、敬侯繒元年。。十一。十三年、戴侯終根元年。 十六 十。元光五年、侯舜元年。。十八。元鼎五年、侯舜が酎金の罪で、国除。 百二十五
邔。 かつて群盗の長として臨江将となり、後に漢のために臨江王と諸侯を攻撃し、布を破り、功績により侯に封ぜられ、千戸を領す。 十二年十月戊戌、荘侯黄極中元年。 七 八 十一。九。十二年、慶侯栄盛元年。。三。後五年、共侯明元年。 十六 十六。元朔五年、侯遂元年。。八。元鼎元年、遂は宅を県官に売り故に貴しと坐し、国除。 百十三
博陽。 卒として豊から従い、隊卒として漢に入り、籍を成皋で攻撃し、功績あり、将となり、布が反乱し、呉郡を平定し、侯に封ぜられ、千四百戸を領す。 一。十二年十月辛丑、節侯周聚元年。 七 八 八。十五。九年、侯鸱元年。 十一。中五年、侯鸱は爵位一級を奪われ、国除。 五十三
陽義。 荊令尹として漢王五年に初めて従い、鍾離眛及び陳公利幾を攻撃し、破り、漢大夫に移り、陳に至り、韓信を取るに従い、中尉に還り、布を攻撃するに従い、功績により侯に封ぜられ、二千戸を領す。 一。十二年十月壬寅、定侯霊常元年。 七 六。二。七年、共侯賀元年。 六。七年、哀侯勝元年。。六。十二年、侯勝薨、後嗣なく、国除。 百十九
下相。 客として沛から従い、兵を用いて斉田解軍を攻撃し破り、楚丞相として彭城を堅守し、布軍を距ち、功績により侯に封ぜられ、二千戸を領す。 一。十二年十月己酉、荘侯冷耳元年。 七 八 二。二十一。三年侯慎元年 二。三年三月,侯慎反,国除。 八十五
德。 以代顷王子侯。顷王,吴王濞父也;广,濞之弟也。 一。十二年十一月庚辰,哀侯刘广元年。 七 二。六。三年,顷侯通元年。 二十三 五。十一。六年,侯齕元年。 二十七。元鼎四年,侯何元年。。一。元鼎五年,侯何坐酎金,国除。 百二十七
高陵。 以骑司马汉王元年从起废丘,以都尉破田横、龙且,追籍至东城,以将军击布,九百户。 一。十二年十二月丁亥,圉侯王周元年。 七 二。六。三年,惠侯并弓元年。 十二。十一。十三年,侯行元年。 二。三年,反,国除。 九十二
期思。 淮南王布中大夫,有纳,上书告布反,侯,二千户。布尽杀其宗族。 一。十二年十二月癸卯,康侯贲赫元年。 七 八 十三。十四年,赫薨,无后,国除。 百三十二
谷陵。 以卒从,前二年起柘,击籍,定代,为将军,功侯。 一。十二年正月乙丑,定侯冯谿元年。 七 八 六。十七。七年,共侯熊元年。 二。二。三年,隱侯卬元年。。十二。五年,獻侯解元年。 三。建元四年,侯偃元年。 百五
戚。 以都尉漢二年初起櫟陽,攻廢丘,破之,因擊項籍,別屬韓信破齊軍,攻臧荼,遷爲將軍,擊信,侯,千戶。 一。十二年十二月癸卯,圉侯季必元年。 七 八 三。二十。四年,齊侯班元年。 十六 二。建元三年,侯信成元年。。二十。元狩五年,侯信成坐爲太常,縱丞相侵神道壖,不敬,國除。 九十
壯。 以楚將漢王三年降,起臨濟,以郎中擊籍、陳豨,功侯,六百戶。 一。十二年正月乙丑,敬侯許倩元年。 七 八 二十三 一。十五。二年,共侯恢元年。 一。建元二年,殤侯則元年。。九。元光五年,侯廣宗元年。。十五。元鼎元年,侯廣宗坐酎金,國除。 百十二
成陽。 以魏郎漢王二年從起陽武,擊籍,屬魏豹,豹反,屬相國彭越,以太原尉定代,侯,六百戶。 一。十二年正月乙酉,定侯意。。元年。 七 八 十。十三。十一年,侯信元年。 十六 建元元年、侯信が鬼薪の罪に問われ、封国が除かれた。 百一十
桃。 客として漢王に従い、二年に定陶から挙兵し、大謁者として布を撃ち、侯となり、千戸。淮陰守を務めた。項氏の親族であり、姓を賜った。 一。十二年三月丁巳、安侯劉襄元年。 七 一。奪われ、断絶。。七。二年、襄を再び封じる。 九。十四。十年、哀侯舍元年。 十六。景帝の時、丞相となった。 十三。建元元年、厲侯申元年。。十五。元朔二年、侯自為元年。。元鼎五年、侯自為が酎金の罪に坐し、封国が除かれた。 百三十五
高梁。 食其、兵が起こると客として従い秦を撃破し、列侯として漢に入り、諸侯を平定し戻り、常に諸侯を約束し和を結び兵を集めさせ、侯となり、功は平侯嘉に比す;死事により、子の疥が食其の功を襲ぎ侯となり、九百戸。 一。十二年三月丙寅、共侯酈疥元年。 七 八 二十三 十六 八。元光三年、侯勃元年。。十。元狩元年、衡山王を詐詔して金を取った罪に坐し、死罪に当たり、病死し、封国が除かれた。 六十六
紀。 中涓として豊から従い挙兵し、騎将として漢に入り、将軍として籍を撃ち、後に盧綰を攻め、侯となり、七百戸。 一。十二年六月壬辰、匡侯陳倉元年。 七 二。六。三年、夷侯開元年。 十七。六。後二年、侯陽元年。 二。三年、陽が反逆し、封国が除かれた。 八十
甘泉。 車司馬として漢王元年に高陵から従い挙兵し、劉賈に属し、都尉として軍に従い、侯となった。 一。十二年六月壬辰、侯王竟。。元年。 六。一。七年、戴侯莫搖元年。 八 十。十三。十一年、侯嫖。元年。 九。十年、侯嫖有罪、国除。 百六
煮棗。 越連囂[2]として豊から挙兵に従い、別に郎将として漢に入り、諸侯を撃ち、都尉として侯となり、九百戸。 一。十二年六月壬辰、靖侯赤元年。 七 八 一。二十二。二年、赤の子康侯武元年。 八。中二年、侯昌元年。。二。中四年、有罪、国除。 七十五
張。 中涓騎として豊から挙兵に従い、郎将として漢に入り、諸侯を撃ち、七百戸。 一。十二年六月壬辰、節侯毛澤元年。 七 八 十。二。十一年、夷侯慶元年。。十一。十三年、侯舜元年。 十二。中六年、侯舜有罪、国除。 七十九
鄢陵。 卒として豊から挙兵に従い、漢に入り、都尉として籍・荼を撃ち、侯となり、七百戸。 一。十二年中、莊侯朱濞元年。 七 三。五。四年、恭侯慶元年。 六。七年、恭侯慶薨、後嗣なく、国除。 五十二
菌。 中涓として前元年に単父から挙兵に従い、関中に入らず、項籍・英布・燕王盧綰を討ち、南陽を得て、侯に封ぜられ、二千七百戸を賜る。 一。十二年、荘侯張平元年。 七 四。四。五年、侯勝元年。 三。四年、侯勝は罪あり、国除。 四十八

==索隱述贊==聖賢影響、風雲潜契。高祖応籙、功臣命世。沛より起ち秦に入り、謀に憑り計に仗る。勲を紀し爵を書し、河に盟し山に誓う。蕭曹軽重、絳灌権勢。咸く封国に就き、或いは罪戾を萌す。仁賢なる者は祀り、昏虐なる者は替わる。永く前修を監み、良く固蒂に慚ず。